|レンズ考察| | ||||||
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1896年にプラナーを開発。 対称型のレンズ構成であるダブル・ガウス型を使ってルドルフが設計した優れた性能を持つレンズ。 発表当時のレンズの明るさはF4.5。
・Unar(ウナー) 1899年にはウナーを開発。 アナスチグマットの2つの貼りあわせ面を薄い空気間隔に置き換えて球面収差を向上させたレンズ。 ・Protar(プロター) 1890年に設計。 2つの貼りあわせ面を持つ、ほぼ対称形の2群4枚構成のレンズ。
・Tessar(テッサー) 1902年にプロターとウナーからヒントを得て、3群4枚構成の驚異的な新レンズを完成。 レンズ光学史上燦然と輝くレンズの王様、テッサー
1920年ツァイスが独占するテッサーの特許が切れると、各社は挙ってテッサー形レンズを出荷しました。 【主なテッサータイプのレンズ】 コダック=アナスチグマット シュナイダー=クセナー フォクトレンダー=スコパー、カラー・スコパー ライツ=エルマー ローデンシュトック=イザール キヤノン=セレナー50ミリF3.5 小西六(現コニカ・ミノルタ)=ヘキサー50ミリF3.5、同75ミリF3.5 日本光学(現ニコン)=ニッコール50ミリF3.5 最近でも良く聞くレンズの名前ですね。 レンズにも大変な歴史があったんですね。 パウル・ルドルフ[Paul Rudolph 1858 - 1935] 1958年、チューリンゲン・カーラで生まれ、ミュンヘン、ライプチヒの大学を経て、 イエナ大学を卒業後、1886年にツァイスに入る。1889年に写真部門を設立し、 アナスチグマット、ウナー、等を設計。1902年に今も続く名玉テッサーを設計する。 この設計で莫大な富を得て1911年に引退するが、第一次世界大戦の損害賠償を 契機にドイツで起こった超インフレで全てを失い、ツァイスに復帰。 その後、メイヤーなどで働き1933年に引退する。 ・参考資料 クラシックカメラ劇場 西ゆうじ |
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